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公開された写真は、ドバイのあるホテルのプールの様子が収められている。一目見てもくらっとする高さに位置し、プールを下から見上げた写真では、利用客の水着姿が明るく見える。また、泳ぐ人も透明な床の設計にくらっとしさを感じるように設計されています。
特にプールの部分はガラスのように透明なフレキシグラス素材で処理されたので、地上から見上げる見ると水がいっぱい入ったプールは、まるで空の上にぷかぷかと浮いているような印象を与える。
このプールは、利用客の安全のための高さと勾配を乗って超えないように設計されたことが分かった。
一方、これに接したネチズンたちは "体に自信のある方々だけ水泳になるように"、"下から見て人々すごく多いように"、"見世物しそうですね。水泳ハヌンサラムドゥルは楽しみやない"などの様々な反応を見せた。
昨日から、名古屋は再び冬になったそうです。晴れているけれども、風は冷たく強いし、雪も降りました。何時、春になれるかな。でも、私は住んでいるところの桜とアブラナの花もう咲いています。やっぱり、春がだんだん来ますね。春になると、一番行きたい所は何処ですか?私にとって、花畑だと思います。
昼ごはんを食べるとき、日本人の友達と中国のある棚田について話しました。日本のテレビ番組はこの元陽棚田というきれいなところを紹介しました。二年前、元陽棚田がある雲南省へ言ったことがあります。本当に美しい、自然な桃源郷です。
中国国内のみならず、世界中の写真愛好家の間で最も注目を浴びている元陽棚田は世界の奇跡と言えるまでに壮観で、「ハニ族の雲の梯子」の美称で呼ばれています。中国の少数民族の一つ、ハニ族が歴史と共に作り上げた奇跡の棚田は見る人の心にしっかりと焼きつく事だろう。
アブラナの花
もしチャンスがあったら、ぜひ行ってください。
草は食べれるか?日本には、草を食べる習慣がある。土筆(つくし)を食べる方々も多くいる。どうして、日本は草を食べるのか?
日本では古くから行われており、『延喜式』には餅がゆ(望がゆ)という名称で七種がゆが登場する。餅がゆは毎年1月15日に行われ、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だった。これを食すれば邪気を払えると考えられていた。
その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになったが、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていた。現在の7種は「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされる。
江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていた。
この7種の野菜を刻んで入れたかゆを七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
七草がゆが食べれなかったなら、つくしを食べてみてくださいね!
ちょっとしたブームになっている「から揚げ」。誰でも食べたことのある庶民的な料理だが、意外にその由来は知られていない。食事情に詳しいライター・編集者の松浦達也氏がニュースや著名人などに縁のある料理を紹介する「日本全国縁食の旅」。「から揚げ」の「謎」に迫ります。
諸説あるが、大元は奈良時代にさかのぼる。遣唐使を通じて、唐から食べ物を油で揚げる技法が伝わった。そしてその技法が江戸後期~明治時代にかけて、鶏肉を食べる文化とともに広まったという。一般に「唐揚げ」と書かれるのはこのためという説だ。 一方、日本唐揚協会のHPでは「江戸時代初期に中国から伝来した普茶料理では『唐揚げ』」と呼ばれていた」という説も紹介されている。
1973年に定められた、当用漢字音訓表で「空」を「から」と読むことができるようになり、「空揚げ」との表記も一般的に使われるようになった。 味わいで現代のから揚げの原型とも言われるのが、愛媛県今治市に伝わる郷土料理「せんざんき」だ。『やきとり天国』(土井中照)によれば、その語源は中華料理で鶏のから揚げを指す「軟炸鶏(エンザーチ)」や「清炸鶏(チンザーチ/センザーチ)」にあるという。 昭和初期、満州から引き揚げた飲食店の店主が現地で教わった料理を供するようになったことから始まったというのだ。千数百kmも離れた北海道発祥のザンギと似た響きなのは、語源が同じ「炸鶏(ザーチー)」から来ているという説が有力だ。
衣をつけた鶏の揚げ物と言えば「竜田揚げ」もある。この料理は百人一首にも選ばれている「ちはやふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」という在原業平の歌からとったもので、「龍田川に流れる紅葉の様を思って、龍田揚げとした」(『たべもの語源辞典』/編・清水桂一)と、こんがりと揚がった姿を指しているという。
揚げたてを噛むと肉の線維の間から、じゅわぁっと肉汁がしみ出すジューシーさ。誰かと共に食べてもいいし、一人でかぶりつくのもいい。
昼ごはんを食べるとき、日本人の友達と中国の蛋挞(エッグタルト、台湾では、蛋塔とも、書くようです)について話しました。私は蛋挞大好きです、でも、名古屋で見たことがない。中国と比べて、日本のお菓子の種類のほうが多いですけど、どうして蛋挞はないですか?友達は日本でエッグタトがありますけど、専門店以外、店の看板であまり書いてないと言いました。
ウィキペディアによると、パステル・デ・ナタ (Pastel de Nata)は、パステル・デ・ベレン (Pastel de Belém)とも呼ばれる小さなカスタードクリーム入りタルトで、ポルトガルの菓子店やカフェで売られている。ポルトガルの首都、リスボンのベレンにあるジェロニモス修道院の修道女たちによって、18世紀以前に発明されたと信じられている。修道院以外でこのクリームタルトを売り出した最初の店は、現在もある「ベレン洋菓子店」( Casa Pastéis de Belém )で、パステル・デ・ベレンの名は店のある地区名にちなんでいる。パステル・デ・ナタのレシピを覚え、イギリス人アンドリュー・ストウ(Andrew Stow)が、そこに英国風カスタード・タルトの技術を加え、砂糖を控えめにするなどの改良を加えたものをマカオにある自分の店で「ポルトガル風エッグタルト」の名前で売り出した。これが評判となり、多くのパン屋、マカオのレストラン、茶餐廳が類似のものを作るようになり、また、妻もマカオで別の店を開業し、ケンタッキー・フライドチキン・チェーンの香港支社と提携して売り出すなど、広く認知されるようになり、マカオでは、現在に至るまでマカオ料理における代表的な菓子として定着する事となった。1990年代後半には、シンガポール、マレーシア、香港、台湾でポルトガル風エッグタルトが売られるようになった。なるほど、名古屋ではエッグタルトを見つけたのは中華料理店のメニューだけだった。
私が好きな紅芋エッグタルト
果物エッグタルト